情報を売りたいのなら、情報の発信者は自分にどれだけのことが出来るのかを情熱をもって淡々と語るべきだ。 その語りによって 信頼という目に見えないモノを売りに出す のである。 情報を共有(第三者に公開)することで、発信者の信頼性を売っているのだ。

モノを売るとは他者へ価値を与えることである。マーケティングとは他者の価値観を見いだす行為である。価値という目に見えない内臓を抉りだして握りつぶす(獲得する)のである。

情報は出版社やインターネット以前に、 自分以外の人間によって伝達される ことを忘れてはならない。口頭だろうが筆記だろうがEメールだろうが、主として 自分以外の人間によって伝達される

インターネットでは自分が発した情報と、初めて接する相手を探すのは容易ではない。これを媒介するのがサーチエンジンだったり日頃から参画しているコミュニティだったり、広告だったりする。

インターネットでの情報の受信者は情報が「無償」で提供されるものだと思い込んでいるし、実際にインターネットの慣習はそのようである。「無償」で提供されるものを「有償」に転換しようと思うなら、受信者の価値観を変えねばならない。あるいはインターネットの「無償」という習慣に挑むのだ。

インターネットは「自由」を好む人達によって築きあげられた。いわゆるハッカーと呼ばれる人達がインターネットの技術を支えてきた。インターネットはデジタルという複製が容易なものを扱う場所だ。デジタルは有るか無いか二者択一の世界である。コピーされるかされないか。容易にコピーできるものをお金で守ろうとするのはいかがなものか?

一度でも他者に渡ったデジタルな情報は有りか無しかの世界に配置される。初めての他者に渡るまではお金で保護できるが、一度手渡した情報を独占することは物理的に不可能だ。


私がここで1億語もの長い文章を公開したとしても、誰の目にも触れなければそれは存在しないことになる。インターネットの情報は存在しないものが多数である。書店に足を運んで自著の書籍を他人の目につくところへ置くような真似はインターネットではかなり実現し難いように思える。迷惑メールやスパムコメントのような行為は、その労力と対価が見合わないように思える。


情報は共有されるものである。情報の発信者がお金を払って(ISPと契約して)インターネットで発信したい情報とは何なのだろうか? お金を払うという行為は現在の社会においては身を削る行為と同等のように思える。私が身を削ってまでも、こうしてウェブサイトを運営しているのは何故なのだろう。。。支払うより得るものが大きいというのはわかりやすい理由だが実際に得たものは何なのだろう?


最終更新日: 2008年04月01日(火) / カテゴリー: お金・経済


Back to top