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習慣その1: sudo を使わない

sudo は臆病者の松葉杖みたいなものさ。root 権限が必要なら私たちは su コマンドで root になる。sudo なんてナンセンスだ。

実際、私たちは、すべてのユーザーに sudo を強制する Unix ライクなオペレーティングシステムでは、最初に sudo su - として root のパスワードを変更するよ。そうすれば、快適にそして永久に su - できるからね。

排他的に sudo を使うことは、ガーターをバンパーでカバーしているボーリングに似ているね。安全だけど、行動を通して考えることをしない原因となるんだよ。

習慣その2: emacs ではなく vi を使う。pico や nano は絶対使わない。

多くの Unix 管理者にとって emacs が、 Unix のマイクロソフト ワードと言えるほど、親愛なものであることを知っています。

Vi と vim はベテランの Unix オタクにとって、物事を成し遂げるための真のツールなのです。 emacs のような乱雑さはありません。

Emacs はテトリスを内蔵しているんですよ。そんなバカなことがありますか。

私は vim のコードの折りたたみや構文の強調表示のような、あってもなくてもよい付加機能がつまらないものと見なされる可能性があることを、いやいやながら認めます。 しかし結局のところ、 vi の「モード」という概念は実際の Unix での作業と非常に調和するのです。 また、ほっそりしたサイズと万能のポータビリティが、唯一無二のエディタであること示しています。

ありがとう Bill 、 ありがとう Bram 。

習慣その3: 武器のように正規表現を巧みに使う

新米の管理者には、当たり障りのない正規表現でさえタイピングを誤ったように見えます。 しかし、私たちにとって、それは純粋なポエムです。

pcre (Perl Compatible Regular Expressions) の複雑さによって表現されたパワーは、他のどんなツールを使っても手に入れる事ができません。100,000行のファイルの中から、数字の 4 が続く場合を除いて、すべての3番目の文字を置換する必要がある場合、正規表現はただの仕事のためのツールではありません -- それは仕事のための唯一のツールなのです。

正規表現を学ぶ事を避けていると、日に日に自分自身と同僚に害を及ぼすことになります。 Unix を生業とする会社では、まず間違いなく、一人か二人は正規表現に学識の深い人がいます。

正規表現に長けた人は、「この正規表現を書いてくれない?やってくれたらコーヒーの一杯でもおごるよ。」といったメールをしょっちゅう受け取りますが、コーヒーの約束が実現する事はありません。

習慣その4: 生まれつきの無精である

多くの人の力を要すると見込まれる問題を与えられた時、私たちのような昔からの Unix 使いは、問題を解決するためにコードを書くことを選択します。

常にとは言えないけれど、普通は手作業よりもコードを実行する方が仕事を短時間で済ませる事ができます。 私たちは単に差し迫った問題を解決することよりもむしろ、あとで使い回せたり参照できるものを作るために努力する時間を費やしたいのです。

たいてい、このような努力は数年後に同様の問題が発生したときに、ホームディレクトリのファイルから、Perl の数百行のコードを引っ張り出してくることによって、ほんの数分で問題を解決できるようになるのです。 そして再び仕事を能率的にするために他のコードを解析する仕事に戻ります。もしくは Angry Birds で遊んでるよ。

習慣その5: エレガントな解決を好む

問題を解決したり目標を達成するために、いくつかの方法がある場合、私たちは実際の問題を網羅し、単にバンドエイドを貼るよりも、今後の課題を防止するソリューションを開発するために、より多くの時間を使うことを選択します。

この事は、 既に解決した 問題をもう一度考える事を嫌うという私たちの性質と関係があります。 私たちは、今ここで先の手順を考える事によって、将来の問題を排除できるかを考えるのです。 これが私たちの普段の姿です。

習慣その6: 問題の原因が質問する人にあると考えている

Unix 管理者の一定のレベルに到達するのは、基礎的な知識に非常に自信がないといけません。 それはまた、自分自身で問題を確認できるまで、問題が存在していると思わないことを意味します。

ベテラン Unix 管理者にファイルが 消えた と尋ねれば、あなたは大声で笑われ馬鹿にされるでしょう。 質問者はファイルが消えることを彼に証明してください。証明できれば彼は問題の原因および解決が見つかるまで、辛抱強く仕事をします。

多くの人々は、このような態度が傲慢または傲慢の徴候であると思うでしょう。 まったくそのとおりですが、私たちはそうして信頼を得ています。

習慣その7: 医者というよりも検視官に近い

大きな問題を処理している時、私たちは実際の問題解決よりも事後の分析に多くの時間を使うでしょう。

調査時間が限られた場合を除いて、私たちは問題の絶対的な原因を知っておく必要があるのです。 筋金入りの Unix 管理者の仕事に魔法はありません。あらゆる状況は論理的に発生し、適切な工程で追跡できないとだめなのです。

手短かに言えば、すべての出来事には理由があるので、私たちはその理由を見つけるためにあらゆる手段を尽くします。

私たちはプロセスを HUP させたり、ファイルやディレクトリのパーミッションを777に変更したりして、出血を簡単に止めことができます。しかし、まだ先があります。

なぜプロセスを再起動する必要があったのか?再起動なんて必要ないはずです。私たちはその理由を知る必要があるのです。

習慣その8: 以外と Windows について詳しい

私たちが個人のマシンで Windows を実行しない、あるいは少しも Windows サーバが好きであるように見えないかもしれないけれども、私たちには Windows の問題を診断して修正する才能がかなりあります。

なぜなら私たちのテリトリーにまでおよぶ事態に対処する必要があるからです。

しかしながら私たちは、 Windows は Unix のように深く論理的な基盤がなくて煩わしいので、「Windows について詳しい」という事実を認めることが好きではありません。

習慣「その5」と「その6」を見てください。

習慣その9: 再起動はひとつのオプションでしかない

Unix は再起動を必要としません。

私たちは、再起動する以外に方法がない限り、実行中のシステムで問題を修正できるように時間を費やします。

私たちの考えでは、カーネルやハードウェアの変更以外で再起動する理由は見当たりません。 再起動は問題を一時的に解決するためのアプローチです。もしも問題が再起動で 修正 されるようなら、問題は再び起こるに違いありません。単純にプラグを抜くよりも、次の機会を待つ私たちのほうが、むしろ問題を解決すると思います。

以上の習慣が、素人目に見て反社会的、または理解し難いのなら、それはまさに素人というわけです。 他の人があつかいにくい、あまりに困難な場面に出会うときに、私たちは、長年の学習、経験、その他の多くのすべてによって悟りを見るでしょう。


最終更新日: 2012年06月17日(日) / カテゴリー: Unix, Linux