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何をやってもうまくいかないときの発想の転換。

うまくいかなくて当たり前。うまくいけば儲け物

物事がうまくいかないことを当然のこととして受け入れる。 物事がうまくいきすぎた日常に慣れ過ぎている。 遅れない電車。途切れる事の無いテレビの電波。いつでもつながる電話やインターネット。 僕らはうまくいくことに慣れ過ぎている。

自然科学の発展によって自然をコントロールすることもある程度できるようになったのだけれど 米の不作や水不足は起こっている。 不測の事態に備える仕組みや制度を作ったので、うまくいかなかった時にもうまくいったように見せかけることができる。初期の段階では失敗しているという事実を見過ごさないで。

何かが失敗したことを他の誰かがサポートできるのは素晴らしい事だ。 だけど、誰かが助けてくれることを期待し過ぎてはダメ。

うまくいかないことは当たり前として、物事に取り組もう。 完璧に予測できるなんて思わないで。 予測しているうちに物事は変わっているんだ。

なぜ、うまくいかないのは当然なのか? うまくいったことの印象が強すぎて、思い込んでいるだけ。 誰かがうまくいくように助けてくれて、その助けに甘えてる。 うまくいくことだけを実行させられ、教えられた。

うまくいく/いかないという状態は、単に個人の経験から導き出されているだけ。 自然科学の発展によって物事の予測はできるようになったけれど、あくまで確率論に過ぎない。 明日地球が爆発するかもしれないことも考慮する。

私たち自身がうまくいくことを望み過ぎなんだ。 うまくいくことを当たり前のように思っているんだ。 経営者やリーダーや政治やサービスに対して、うまくいくことを期待しているだけなんだ。 期待は悪くないけれど、本当は心の奥底では強制的に要求しているんじゃない? 会社員になれば給料をもらって当たり前なのは、あくまで契約上のことであって実際に給料を支払うためのお金がなければどうしようもないしね。

人間は不安の無い社会や生活を手に入れようと予測することに精を出している。 畑を耕すことも、勉強してビジネスアイデアを出す事にも。

世の中うまくいきすぎている。 人間が理解可能で制御できる物事のうえで生活しすぎなのさ。


うまくいかなくて当然。 情報の整理なんて特にそう。

wikipedia のシステムがすごいのは階層構造をなくしていること。 記事を分類するための階層構造が無いのさ。 (名前の衝突を防ぐために「名前空間」という概念は使われているね。)

事実をひとつひとつ独立させて、利用者の経験や対話によって事実を分類するための符号を付けているだけなんだ。

つまり分類するための符号を独立した事実として記事を作成して、関連する項目をそのページからリンクさせている。階層構造は見た目で実現しているのさ。

分類なんていうきっちりしたものはない。 分類するためには第一の分類が必要。根っこにあたる部分ね。

「日本->関東->東京都」としたら根っこの部分は「日本」。 だけどこの「日本」に万人に共通する意味はない。

分類に必要なのは文脈。 日本の地理を語るために「日本」を出発点にしているわけで、世界の地理を語ろうとすれば「アジア->日本」のようになるね?

出来事は文脈に左右される。 出来事は分類できるというより、派生するというのかもしれないね。

うまくいく、うまくいかないと語るときも、それは文脈によって決定される。 私やあなたがうまくやり遂げたいと思う時、自分の有能さを示そうとしているんじゃない?


最終更新日: 2010年06月06日(日) / カテゴリー: 考え方・発想法